「生存のエシックス」展とWhole Earth Catalog

 

僕も「生存のエシックス」展に行ってきました。M先生の書かれた記事を読むと、どうやら同じ日に行ったようです。

この展覧会を既に観た人から、「観た人が皆、頭に『?』をいっぱいつけて会場から出てきてるらしいよ」と聞かされていたのと、前もって図録(バインダー形式の面白いデザインのものです)を見せてもらっても、やたら細かい字でぎっしりとたくさんの言葉が詰まっている印象で、観に行く前は「いったい何が言いたい展覧会なのか」が感覚的にはほとんど掴めなかったのです。

展覧会を実際に一通り巡ってみても、ぶっきらぼうと言っていいような展示物のありようと、説明文の掲示の方法の不親切さに、その感は変わりませんでした。

しかし、もう一回りしてみようと思って、会場に上がる階段ホールの上部を何気なく見た時、Whole Earth Catalogの表紙の映像が象徴的に投射されているのが目に入ってきました。そして「この展覧会は、21世紀における知のWhole Earth Catalogを作ろうと意図したものなのだ」と悟りました。本当にそうなのかどうかはわかりませんが、そのようにWhole Earth Catalogという補助線を引くことによって、自分なりに展覧会の意図がはっきり見えてきたように思えたのです。(Whole Earth Catalogは入ってすぐの部屋に現物も展示されていましたし、内容も壁に投射されていました。)

 

 

Whole Earth Catalog(全地球カタログ)とは、'60年代の終わり頃から'70年代の初めにかけてアメリカでスチュアート・ブランドを中心とした編集チームが発行していた商品と情報のカタログです。
その内容は、
Understanding Whole Systems(全体システムの理解)
Shelter and Land Use(シェルターと土地の利用)
Industry and Craft(産業と工芸)
Communications(コミュニケーション)
Community(コミュニティ)
Nomadics(放浪生活)
Learning(学習)
にカテゴライズされ、編集チームによって全地球上から厳選された商品や情報が大判の紙面にぎっしりと掲載されており、またそれらの商品を実際に購入することもできました。今はウェブサイトで内容を閲覧することができますが、バックミンスター・フラーのテトラ構造のシェルターやジョン・ケージの姿なども見えることから、その内容は当時の(西海岸を中心とした)アメリカの対抗文化の状況を反映し、またそれをリードするものだったことがわかります。

このようなWhole Earth Catalogという補助線から見えてきた「生存のエシックス」展は、「21世紀のオルタナティブな知の状況のカタログ(の一部)である」ということです。
カタログというものが、商品の羅列に読み手が自由にアクセスするためのツールであるように、「生存のエシックス」展も、各自の研究成果の羅列に観る人が自由にアクセスして、プロジェクト相互の関係性や内容の誤読(誤読とは、作者の意図に関わらずに観る人が創造的に解釈すること)から自由に自分の理解や経験を作っていくためのツールとしての展覧会だということです。バインダー形式の図録もそのような展覧会のあり方を物語っているように思えました。つまりコンテンツはこれからも増え、アップデートしていく可能性があるし、自分でコンテンツを創作して挟み込んでいくこともできる、ということです。

だから、このような展覧会は単に観ているだけではあまり面白くないと思います。実際にTさんのように参加してみるとか、展示物に積極的にアクセスしてみるとか、藤森照信さん(建築家)や中村哲さん(ペシャワール会)など企画されたたくさんのレクチャーにマメに参加するとか、この展覧会から得た新しい情報をさらに自分で深めてみるとか・・・。
一方で各プロジェクトの(現時点での)内容の評価という問題はあると思いますが、そのように美術館自体を大きなワークショップルームにしてしまったこの展覧会は、これからの美術館のありようの一端を示したという意味でも高く評価されるべきだと思いますし、これから京都芸大内でも本展を引き継ぐような形で様々なプロジェクトが立ち上がって学際的な研究が進むといいと思いました。

下はM先生が撮り忘れたという美術館前に建てられた土のカフェです。僕もこういう土の建造物が大好きなんです。(Y.O.)