7月10日(日)、京都造形芸術大学内にある京都芸術劇場・春秋座に於いて開催された「廃墟と(しての)未来—カタストロフィ後のアートとアーキテクチャー」と題した公開講座を観に行ってきました。
以下、ウェブサイトやフライヤーなどに掲載されていた本公開講座に関する案内文です。
磯崎新(建築家)
岡崎乾二郎(造形作家、批評家、近畿大学国際人文科学研究所教授)
コメンテーター 椿昇(現代美術家、京都造形芸術大学美術工芸学科長)
モデレーター 浅田彰(批評家、京都造形芸術大学大学院長)
「東日本大震災とそれによって起こった原子力発電所事故は、われわれの目前におそるべき廃墟を現出させた。その廃墟は、1923年の関東大震災や1995年の阪神・淡路大震災を想起させる以上に、見方によっては原子爆弾を投下され敗戦に追い込まれた1945年の日本の廃墟と重なって見える。その廃墟を前にしたわれわれに、いかなるヴィジョンが開けるのか。
戦後の日本、そして世界の建築界をリードしてきた磯崎新は、実は、広島の廃墟の只中に丹下健三設計の平和記念館陳列館だけが建ち上がった光景をみて「未来都市は廃墟である」と直観していた。丹下健三に続くメタボリストたちが、もっぱら未来へと前進する時間軸にそって成長し増殖する建築や都市を構想したとすれば、そもそもポストメタボリストとして出発した磯崎新は、未来の廃墟から現在を振り返って見るレトロスペクティヴな視線をそこに重ねていたのだ。その磯崎新が、いま東日本大震災後の廃墟に何を見るのか。
他方、美術家としてジャンルの枠を超えた活動を展開している岡崎乾二郎は、実のところ、美術の枠をも超え、建築や地域計画にいたる実験を試みてきている。その岡崎乾二郎が、磯崎新のヴィジョンにどう応答し、またどのような独自のヴィジョンを提起するのか。
日本でもっともラディカルなアーキテクトとアーティストによる、これは大震災後のヴィジョンをめぐってのかつてなくアクチュアルな対話となるだろう。」
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京都造形芸術大学大学院長である浅田彰氏がプロデュースする公開講座「アサダ・アキラ・アカデミア」は、毎回非常に興味深いテーマ/ユニークな人選で、いつも行ってみたいと思っていたのですが、平日の開催が多く、見送っていました。今回は日曜の開催ということで、ようやく行くことが出来ました。また、今回は建築界・美術界きっての論客が、あの大災害に対してどんな意見を持っているのか興味があったので、祇園祭で盛り上がる京都市内のど真ん中を走る5番の市バスに乗って京都造形芸術大学へと向かいました。
まず、はじめに浅田氏による紹介と上記のような問題提起をふまえて磯崎氏が発言。このような未曾有の事態に対しては、過去に後醍醐天皇やトマス・ジェファーソンが行ったようなある意味で無謀とも思えるようなラディカルな改革をすべきだとし、「アーキテクト、アーティストは災害(事件)をいかに作品化(プロジェクト)するか」と題したプレゼンテーションを行いました。その中で磯崎氏は、国会を巨大な筏に載せてラピュタ都市として曳航させ福島に繋留、それと同時に行政府も福島に移動させるという、荒唐無稽とも言える(僕はたいへん良い案だと思ったのですが)遷都案を提案した上で、1968年の前衛主義の終焉、2008年の市場主義システムの自壊の後、ポスト3.11は「自然を前提にしない自律的発生論」として、今までに存在してきた枠組みを揺さぶるようなことが求められるのではないか、という問いかけを行いました。
一方、岡崎氏は、これまでに関わってきた公共事業的な展覧会や地域計画における思考・実践の体験をふまえ、これまでのようなRepresentation(表象)としての芸術ではなく、近代モデルを超え出るものとしての「時空の複数性」を前提とするReproduction(「再生産」という訳語を当てれば良いのかな?)としての芸術を提案していました。
最後の方で磯崎氏は今までの話を受けて、「自分は建築家としては権力との関わりを持たざるをえない一方、一種の亜自由を確保した上で社会や権力に対して自律的に活動するアーティストとも関わりを持つなど、二重性を抱えながらやってきた」という意味の発言すると、他のパネラーが「それこそがアーティストであり、それが倫理なのだ」とまとめていました。
非常に抽象性の高い話だった上、話題が様々なものに及んだので、僕もちゃんと理解できているのか怪しいですが、非常に乱暴にまとめると、だいたい話の骨子は上のようなものだったのではないかと思います。
帰りはバスに乗らずに造形大から蹴上までずっと歩いて帰ったのですが、歩きながら、岡崎氏の言う『Reproductionとしての芸術』とはどのようなものだろうか、と考えていました。時間の関係で質疑応答の時間が無くて、その言葉についての理解が今ひとつ深まらなかったのです。岡崎氏はそれを「サイト・スペシフィックではなくサイト・ジェネレイテッド」、「自分でメディアやインフラまでもつくる」という言葉で語っていましたが、例えば具体的に東北でどのようなプロジェクトをするとか、を語っていたわけではないので、会場ではもう一つその言葉がピンと来ませんでした。
自律的な時空の中でラディカルな行為をひたすら持続するのみ、ということなら、何やら「パラダイス」(探偵ナイトスクープ)みたいだな、とも思いますが、たぶんそういうことではないでしょう。アドルノの言う「アウシュビッツの後での詩を詠むことの野蛮さ」を持ち出すのは適当ではないかも知れませんが、それでもおそらく、東北のあの破壊し尽くされた光景の前に立ったとき、何かを表象することの不可能性を感じざるを得ないだろうし、それでも何か創造的なことをそこでやろうとするとき、『Reproduction』という言葉が召還されたのではないか。それは「生きのびるためのデザイン」(ヴィクター・パパネック)ならぬ「生きのびるための芸術」として思考され、実験され、経験され、蓄積され、深化するようなものではないか・・・、そんなことを歩きながら考えていました。
下の写真は公開講座からの帰りに見た夕陽です。(Y.O.)
(この文章は、松尾美術研究室のブログ "マツオ・アートログ”への2011年7月15日付けの投稿を転載したものです。)