ジョン・ケージ「小鳥たちのために」(青山マミ訳/青土社)を今、38年ぶりに再読しているところです。
この本はたしか‘84年、当時通っていた美術学校にやってきた東京芸大生協の出店で買ったと記憶しています。当時はジョン・ケージという音楽家の名前は聞いたことがあったものの、その音楽は聴いたことがありませんでした。また、この中に登場するアーティストや思想家などの名前や言葉のほとんど全てが初めて耳にするものでした。
鈴木大拙、H・D・ソロー、バックミンスター・フラー、アーノルド・シェーンベルク、ジェイムズ・ジョイス、エリック・サティ、モートン・フェルドマン、マース・カニングハム、荘子などなど…です。
それから38年経った今では、これまでの年月の中でケージの音楽をはじめとして、上記の人たちがやってきたこととバラバラに出会ってきているので、改めて読んでみると初めて読んだ時より(おそらく)深まった理解の仕方ができておもしろく読むことができています。
それにしても、38年前、そんなあまりよくわからなさそうな本をなぜ買って読もうと思ったのか?
今はどうなのかわかりませんが、そのころの画学生は、ジャンルに関係なく読んでおくべき本や押さえておかなくてはならないアーティストや思想家というものが暗黙のうちにあって、そのような本の一冊としてこのケージの本も認識されていたような気がします。でも何より、この本を買いたいと思った1番の理由は、そのブックカバーの水彩画がいいな、と思ったからです。今でも装丁の美しい本は意味もなく購買意欲がそそられてしまいますが、案外その見立ては間違いません。
そもそも、この本を再読しようと思ったのは、書店で最近たまたま、この本が今でも'82年の初版そのままの姿で売られているのを見つけて驚いたから(そこにあったのは確か14版だった)です。こんなに長い間絶版にもならずに元々の装丁で版を重ねているのを見て(同じような時期に読んだ浅田彰さんの「構造と力」もそうですが)、何か訳もなく嬉しくなりました。(Y.O.)