六角舎アートスクールでは、潮江宏三先生(京都市立芸術大学名誉教授・前京都市美術館長)をお迎えし、「西洋美術のツボ」と題する年間6回の連続講座を開催しています。
西洋美術史の泰斗・潮江先生が、西洋美術を見て楽しむための糸口として、文字どおり「ツボ」とも言える特有のポイントに焦点を当てて、解きほぐしていく講座です。
今回の連続講座 season 6 の3回は「西洋風景画物語」と題して、潮江先生のご専門でもある西洋絵画における風景表現の発生とその展開についてじっくりと講義していただきます。
第1講:2024年4月14日(日)
(潮江先生コメント)「風景画」へと至る道ー「近世的近代的な意味での最初の風景画」と称されるアンブロージョ・ロレンツェッティの《善政と悪政の寓意》中のシエナの町と田園の風景にまで至る、自然にたいする西洋人の心の変遷をたどりながら、視覚資料をもとにそこへと至る道を何とか復元してみたいと思います。
第2講:5月19日(日)
今日は先月の続きから。
第3講:6月16日(日)
(潮江先生コメント)15世紀前半のイタリア絵画の風景表現とネーデルランド絵画の風景表現を対比的に見て行きたいと思います。その際、当然のこととして「遠近法」と風景画の関係についても、考察してみたいと思っています。
「16世紀以降の風景画の成立以降の話だけやったら面白くないやろ」(潮江先生談)とのことで、前半の3回は、ローマ時代から中世にかけて、西欧における人間と自然の関わりがどのように表象されてきたのかを、壁画や写本絵画や板絵などのたくさんの図版を参照しながら講じていただきました。
中世においては、風景が主題(聖書の物語など)を表現するための舞台設定に過ぎなかったり、全く描かれなかったりしていたものが、時代が下がっていく中で(とりわけランブール兄弟やロベール・カンパン、ファン・エイクなどにおいて)風景が主題のための舞台設定の役割を超えて独自の魅力を持ち始めていく様子が興味深かったです。それは、人間存在が、教会や領主などを中心とした狭いコミュニティーの中だけのものから、さらに外部に広がる自然を含んだ空間の中の存在へと拡張していくこととパラレルであるように感じました。
個人的には、「風景画」とは、究極的には「世界そのものをどのように小さな平面の中に表現するのか」という絵画の核心的な問題が現れたものだと思っています。次回(10月)以降の「西洋風景画物語」後半では、画家たちによってそのような問題が様々に工夫されていく様子が学べるものと思います。(Y.O.)